石川智基先生

男性不妊の基礎知識 「二人」で治療に取り組むことが解決の近道にも

不妊の原因が男性側にある場合も多いことは、いまでは広く知られつつあります。それでも「自分は大丈夫だろう」と思い込み、不妊の検査をしない男性がまだ多いのが現状です。男性不妊にはどういうものがあり、どんな治療法があるのか。男性はパートナーとどう話し合うべきかといった基礎知識を、男性不妊治療の第一人者で生殖医療専門医の石川智基先生にうかがいました。


自覚症状のない男性不妊が多くを占める

男性不妊を大別すると、精子をつくる機能に障害がある「造精機能障害」と性交を行うことや射精が困難な「性機能障害」があります。勃起不全などの性機能障害は自覚できますが、造精機能障害は性機能に問題はないため、精巣機能が低下していて妊娠に結びつかないことには気付きにくいものです。従って、精液などを検査しなければ症状を把握することができません。


男性不妊の主な症状

造精機能障害
乏精子症 精液検査で精子の数が1ml中1600万未満。
無精子症 射精した精液中に精子が見当たらない状態。
精子無力症 精液検査で動いている精子が42%未満。
性機能障害
勃起不全(ED) 十分に勃起しない、勃起が続かない状態。
射精障害 勃起はできても正常な射精ができない状態。

石川先生は最近の男性不妊の傾向について、「日本では、男性の10人に1人が男性不妊を抱えているとされています。最も多いのは乏精子症で計算上は12人に1人の割合でおり、無精子症の方はおよそ100人に1人の割合でいます」としたうえで、「最近では、射精は可能でも性行為中に射精できない『膣内射精障害』の男性が非常に増えており、映像やVR(仮想現実)などに慣れ親しんだために実際の女性相手だとうまくいかないのが理由の一つとも言われています」と説明します。

男性不妊の治療法

精液検査で乏精子症や無精子症といった男性不妊が判明した場合は、医療機関で触診や血液検査などをして原因を調べます。原因が明確なものに対しては、多くの場合は手術で治療することができます。
原因が分からない場合には、不妊治療である人工授精、体外受精、顕微授精のステップを踏んで妊娠を目指します。無精子症の場合には、精子を採取するために手術を行うケースもあり、精巣を切開して見つかった精子で顕微授精を行います。
また、勃起不全の場合は内服薬が処方されます。


石川先生によると、乏精子症の原因で一番多いのは「精索静脈瘤」で、陰嚢(いんのう)内の静脈が逆流し、血管が拡張して温度が上がることなどにより精子が作られにくくなるといいます。手術で治療することができ、多くの方が施術を受けられています。
無精子症の場合、精子形成が低下している「非閉塞性」のものと、精子が作られても精子の通り道がふさがっている「閉塞性」のものがあります。後者は手術で精子の通り道を再建できることもありますが、最近では精巣内精子回収法(TESE)といって精巣内の精子を採取したうえで顕微授精を行うことが多いです。非閉塞性の方は顕微鏡下精巣内精子採取術(micro TESE)で精巣の中をくまなく調べ、精子がごく一部でも作られている可能性を探ります。


「手術中の痛みはほとんどないですが、患者さんにとっては自分が原因で子どもができないというプレッシャーや複雑な思いもあるため、我々が精神的なサポートをすることも必要だと考えています」

無精子症の二つの種類

精子を良い状態に保つための生活習慣とは

精子の数が少ないだけでなく、運動率が低いことや、精子DNAが損傷しているなど、状態が良くない場合も不妊につながる可能性があります。精子を良い状態に保つための生活習慣として、石川先生が推奨するのが、熱に敏感な精巣の周辺を温めすぎないこと。具体的には「サウナに長時間入らない」「熱を放出する稼働中のノートパソコンを膝に乗せない」「スマートフォンをズボンの前ポケットに入れない」「下着はブリーフよりも風通しのよいトランクスをはく」などが挙げられます。


温度によるストレスのほかには加齢に伴う酸化ストレスもあります。ビタミンの豊富な食生活を心がけ、食事での摂取が難しければサプリメントで補うことで酸化ストレスの軽減を目指します。さらに禁煙や適量にとどめた飲酒、規則正しい生活も大切です。

石川智基先生

石川先生は「加齢に伴って精子の質も悪くなります。女性の卵子ほど顕著ではないのですが、35歳ぐらいを境にして徐々に下がっていきます。我々が患者さんに言っているのは、『頻繁に射精してください』ということ。精子は常に生産されていますが、DNA損傷などを減らすために1週間に3、4回は射精した方がよいでしょう」と説きます。

不妊治療に男性も積極的な意識を

男性不妊に対する認知は徐々に広がっていますが、妊娠に関して男性は当事者意識が低く、不妊治療に消極的な傾向があると石川先生は指摘します。


「男性の『自分は大丈夫だろう』という根拠のない自信は、なぜか根強く残っています。さらに、日本は海外と比べて男性不妊治療の専門医が少なく、不妊治療の大半を産婦人科や女性向けクリニックに頼ってきた状況も、男性を遠ざける要因になっていたと思われます」


自分が不妊症かどうかの検査は、男性は精液を提出することで分かるため、女性に比べると負担は小さくて済みます。男性が気軽に利用しやすいクリニックが多くなり、自分の精子の状態を知る目的で検査を受ける若い男性も増えています。


「医師の話を女性だけが聞いて、パートナーの男性へ伝える伝言ゲームになってしまっては、女性にさらにストレスをかけることになってしまいます。不妊治療はパートナーと協力しあうことが大切なので、できる限り二人で診察を受けていただきたいと思います。男性が初診に来ていただければ、二人は良い関係で治療のスタートを切ることができます。最近は、パートナーと二人で治療にあたられる方が増えており、意識の差は埋まりつつあると感じています」

まずはお互い向き合うことから

不妊治療を始めると女性側に大きな身体的・精神的負担がかかりがちになります。それでも、二人でいろいろなことを話し合いながら、思いやりを持って協力していくことが、健やかに妊娠・出産していくためにも重要です。

石川智基先生

「私は『ストレスをサポートに変えよう』という言葉をみなさんに伝えています。これまで女性が家事や仕事、通院、さらには周囲からの妊娠への期待などのさまざまなストレスを受けてきたのを、みんなでサポートしましょう、と。具体的にサポートしていくために、一番大事なのは『理解する』こと。なぜこのような治療が必要なのかを知り、パートナーの女性に理解を示して、何かできることをする意識を持つのが望ましいと思います」


夫婦のどちらかが大変になるというのは、不妊だけに限らず、将来的に病気や介護でも起こりうる状況です。石川先生は「お互いに持ちつ持たれつという意識は、これから一緒に人生を送っていくうえで大切だと言えるでしょう」と語ります。

不妊治療に消極的な男性へのアプローチ

石川智基先生

一方で、女性側から男性にプレッシャーを一方的に与えてしまうことは、二人が良い関係で不妊治療に取り組んでいくためにも避けたいものです。


「不妊に対する女性のプレッシャーは相当なものですが、パートナーに感情的に気持ちをぶつけてしまうと、男性も負担に感じてしまうかもしれません。逆に、男性は理論や数字を示されて納得すると、自分から動く傾向にあるようです。そこで、不妊治療に消極的な男性には、不妊治療の情報やデータを具体的に知ってもらい、自分たちがどの段階にいるのかをわかってもらうことをお勧めします。いまはそのような情報を得られるセミナーの動画なども家で見られますから、二人で一緒に見ることから始めてみてはいかがでしょうか」と石川先生。

最も大事なのはスピード感

石川智基先生

石川先生が不妊治療をするカップルにとって重要なスタンスだと考えるのは、「二人で力を合わせて取り組むこと」と「スピード感を持って治療にあたること」。時間が経つほど年齢とともに妊娠率が下がり、逆に流産率は上がってしまうのが現実です。妊娠・出産のチャンスをより広げるためにも、男性が積極的に診察などに協力して、スピード感を持ってパートナーとともに不妊治療を進めていくことが望ましいと言います。


「日本での不妊治療の大きな課題は、子どもが欲しいと思ってからクリニックに行くまでの期間が長いことで、3年というデータもあるぐらいです。自分たちだけでずっと悩んでいるのは、我々からすると非常にもったいない時間で、妊娠率の高いうちならできることがたくさんあります」と石川先生。


「たとえば、排卵日に性交渉を持つことを求められると勃起不全になってしまう『タイミングED』の場合、思い切って人工授精した方が妊娠の確率も高くなりますし、男性の気持ちも楽になります。そのためにも、不妊治療のクリニックをもっと気軽に利用していただきたいですね」

※当記事には個人的な見解も含まれます。

PROFILE

石川智基(いしかわ・とももと)先生

1974年生まれ、兵庫県出身。リプロダクションクリニックCEO。男性不妊症治療の第一人者として、顕微鏡下精巣内精子採取術(micro TESE)の手術においてトップクラスの実績を持つ。神戸大大学院医学研究科を経て、2003年に渡米。ロックフェラー大学で男性不妊研究に取り組み、コーネル大学では最先端の男性不妊診療を学ぶ。帰国後は全国で精力的に男性不妊医療に取り組み、2009年からは豪州でも診療・研究に従事。男性不妊と女性不妊を診療できるリプロダクションクリニックを2013年に大阪、17年に東京で開院した。


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