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- CASE 01
39歳から妊活をスタートしたAさん。タイミング法、人工授精、体外受精とステップアップするなかで、3回の流産も経験します。採卵を続けても、移植できる凍結胚が得られない時期もありました。高齢妊活の現実を受け止めながら、淡々と治療を続けたというAさんにお話を伺いました。
【妊活ヒストリー】
- 30歳
- 1歳年上の夫と結婚
- 39歳
- 不妊専門クリニックを受診。2回の流産を経て、転院
- 41歳
- 顕微授精で妊娠判定
- 42歳
- 第1子誕生
あせれども、実態はセックスレス
結婚は30歳のとき。「いずれはこどもが欲しい」という思いはありましたが、「そのうち、そのうち」と思っているうちに、夫が転職をしたり、私が会社を辞めてフリーランスになったりと、生活スタイルも大きくチェンジ。いつの間にか、30代も半ばに突入していました。
とはいえ、こどものことをまったく考えなかったわけではありません。妊活や不妊治療について書かれた記事を目にすることも多く、「悠長に構えている場合ではない」という焦燥感は、いつもどこかにあったのです。
夫にも「そろそろ妊活を始めたほうがいいと思う」という話題は何度も振っていたものの、彼にはその気なし。「そのうちね。今は2人とも自分のことで精いっぱいでしょ」といなされては、「そのうちって、いつ?」と、ムカムカ、イライラしていました。
そのうえ、私たち夫婦はこのころには完全にセックスレス化。ワンシーズンに1回あればよい、というくらいレアな行事になっていて、妊娠を期待できる状況ではなかったのでした。
夫は「避妊をやめ、定期的にセックスをしさえすれば、すぐに授かれる」と考えていたようです。そして、そんな能天気な彼にイライラしていた私でさえ、心の奥では「私たちは大丈夫」という気持ちをもっていたように思います。
生理周期は一定で、生理痛はほとんどなし、婦人科トラブルとは無縁だったこともあり、自分の体には根拠のない自信がありました。振り返ると、夫婦そろってお気楽でした。
39歳になって、不妊治療デビュー
こうして妊活のスタート地点にすら立てないまま日々を過ごすうちに、気づけば30代最後の年に。さすがに私も、本当におしりに火がついたという思いで、誕生日に「今年こそ妊娠したい」と、夫に詰め寄りました。
すると、今までのれんに腕押しだった夫が、「そうですね」と。そうですね? 何? その他人事みたいな返答は! ムッとしながらも、さらにたたみかけました。
「もう39歳なので、今から自己流タイミング法をしている時間はないから、病院に行く」
夫には「自己流タイミング法」の意味すらわかっていなかったかもしれませんが、反対されなかっただけ進歩しました。アクセスのよいクリニックを選び、不妊治療が始まりました。
クリニックではまず一通りの検査を行って、不妊の原因がないかを調べます。結果は、卵巣予備能を示すAMH値は年齢相当、ホルモン値に異常はなし、内診や卵管通水検査(※1)でも異常はなく、ひとまず妊娠を妨げる明らかな原因はない、とのこと。「自然妊娠も可能」と聞き、検査と並行しながら2周期ほどタイミング法にトライしました。
(※1)子宮内に生理食塩水を注入し、卵管の詰まりの有無を調べる検査。
神奈川県横須賀市沖に浮かぶ自然島、猿島へ。気分転換に。
年季の入ったセックスレス夫婦にとっては、これがなかなか…。行為そのものがすでに照れくさいというのもあるし、「今日だから! 今日くらい禁酒して!」「え? それってなんか根拠あるの? 別にいいでしょ」といった、地味な攻防に疲れました…。
フーナーテストの衝撃と人工授精
2周期目には、フーナーテスト(※2)を実施しました。朝、セックスしてから受診し、子宮内に精子がいるかをチェックする検査です。さて、結果はというと「ゼロです。子宮内に精子は確認できませんでした」。ささやくような医師の声がわびしく聞こえて、「あー。なるほどですね」と言うのが精いっぱいでした。ゼロでは、妊娠しない…。
(※2)性交後試験。排卵日ごろの夫婦生活の数時間後に、子宮頸管粘液を採取し、精子の数や運動性などを調べる検査。
この検査結果は、夫にとっても少なからずショックだったようで、この後は治療にも関心を示すようになっていきます。
次の周期からは人工授精(※3)へとステップアップしました。というのも、フーナーテストの結果は悪かったものの、精子数、濃度、運動精子数のいずれも、人工授精が可能なくらいの数値はあったのです。人工授精をしつつ、排卵日付近には少しでも確率を上げようとタイミングもとりつつ、3周期にわたってトライしました。
(※3)女性側の排卵の時期に合わせて、洗浄・濃縮したパートナーの精子を子宮内に直接注入する不妊治療法。
しかし、結果は3回ともかすりもせず。毎回期待はするものの、「今回こそ、もしや?」と思って妊娠検査薬を使うと、翌日に生理がくるのは、あれは何かカラクリがあるのでしょうか…。リセットが残念というより、がまんできずにムダに検査薬を使ってしまった自分に残念さを感じていたことを思い出します。
そんな人工授精3回リセット後の診察で、医師から「年齢的には体外受精にステップアップしてもいいと思う」と提案されたときには、夫婦ともに「これ以上、人工授精を続けても妊娠はむずかしいのではないか」と感じるようになっていました。
長らく妊活に無関心だった夫も、「確率が高い治療に進んだほうが、時間的にもコスト的にもいいのではないか」と、急にまともなことを言うようになっていました。
2回の流産で転院を決断
こうして、次の周期からは体外受精にステップアップ。はじめての採卵では、初期胚(※4)1個、胚盤胞(※5)1個を凍結することができました。
(※4)受精後2〜3日目、細胞分裂が始まった受精卵のこと。
(※5)受精卵が細胞分裂を繰り返し、受精後5〜6日目の着床前の段階。
初回移植は、胚盤胞から。胎嚢(赤ちゃんが入っている袋)が見えるまでは育ったものの、心拍確認には至りませんでした。「流産」と告げられたときは、待合室に戻ってからも涙が止まらず、目も鼻も真っ赤なまま電車に乗ったことを覚えています。
このときは、手術はせず、自然に排出されるのを待つという方針でした。胎嚢は突然の出血とともに、トイレに流れていってしまいました。
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次の初期胚移植では心拍まで確認できたものの、またも流産となり、手術を受けました。手術は麻酔で眠っている間に終わりましたが、手術中に暴れたのか、腕のあたりに青あざがありました。翌日には地方出張があり、日々は容赦なく流れていきましたが、腕のあざを見ると「無意識のうちに抵抗していたのかも」と、赤ちゃんにも医療スタッフにも申しわけなく思ったり、自分がかわいそうに思えたり…。
2回の流産が精神的にもこたえたことに加え、医師とのコミュニケーションがうまくとれていないと感じることもあり、転院を決断。排卵誘発剤(※6)を最小限にする「自然周期」の治療方針を掲げるクリニックに通うことにしました。
(※6)卵胞(卵子)を発育させて排卵を促すときに用いる、飲み薬や注射のこと。
3回目の流産と再スタート
転院先のクリニックでは、初回の診察は夫婦そろって受けることが条件でした。診察室に入るなり、医師から「おたくの場合は、旦那さんの精子の問題でしょうな」という一撃。確かに、画面に映し出された夫の精子は、カクカクとぎこちない動きをしています。それを見た夫は、固まっていました…。
血液検査の結果では、流産の影響からまだhCGホルモン(※7)が下がり切っていないことがわかり、完全にゼロになるまで治療スタートはおあずけに。ところが、次の生理を待つ間にまさかの自然妊娠! 3度目の正直というし、自然に妊娠したわけだし、今度こそと期待に胸がふくらみましたが、8週目でまたも心拍が止まっていることがわかりました。
(※7)受精卵が着床すると、胎盤の絨毛組織でつくられ分泌されるホルモン(絨毛性性腺刺激ホルモン)。
治療をスタートしたころは、「体外受精をすればたぶん大丈夫」なんてお気楽に考えていたのに、3回妊娠しても1回も出産に至らず。妊娠も妊娠継続もむずかしい。年齢の壁を思い知った39歳の冬でした。
ホルモン値が正常に戻るまでに3カ月ほどかかり、転院先での本格治療は初診から半年後になりました。流産は精神的にダメージが大きいのはもちろん、タイムロスという点でも高齢妊活者にはこたえます。
こうしてようやくたどり着いた転院先のクリニックでのはじめての採卵。結果は胚盤胞が1個凍結できました。このときの私は、「やっぱり胚盤胞まではなるんだよ」と妙な自信をもちました。
前のクリニックでもはじめての採卵で胚盤胞ができたし、移植も2回とも妊娠反応が出た。問題は、そこから流産しないかどうかなんだ、と。でも、この胚盤胞での移植は着床することなく、これから先、長い“採卵スパイラル”へと突入することになるのです。
6回目の採卵で見えた光
「胚盤胞まではいける!」という自信があった私ですが、2回目の採卵周期からは、前回の胚盤胞がいかに貴重だったかを思い知らされることになりました。初回こそ移植ができたものの、2〜5回目まで凍結ゼロ。採卵はできても胚盤胞までに成長する受精卵があらわれないのです。だんだんと感覚も麻痺し、「またか」という無の心で受け止めるようになっていきました。
私は何も感じない、平常心でいようとしていました。
胚盤胞ができない周期が4回も続いたことで、夫婦のなかにも「そろそろ潮時では」という空気が漂い始めました。保険適用前だったので、金銭的な負担も大きい。ただ、なんとかもう一度移植したいという気持ちが強く、「最後にもう1回」と決めて、治療を続けることにしました。
最後の治療のために、心身をリフレッシュしようと、治療は1周期休みました。その間に、鍼治療をスタート。そこまですれば、ダメでもあきらめがつくな、という思いでした。
そして、転院先のクリニックでの6回目の採卵。電話で「凍結できました」という言葉を聞いたときは、うれしさよりも安堵のほうが大きかったことを思い出します。ようやく凍結できたたった1個の胚盤胞。これで妊娠しなければ、私たちの不妊治療は終了です。
移植日は大晦日。365日休まずに診療してくれるクリニックへの感謝の気持ちが湧く年の瀬を迎え、1月4日に妊娠判定! そこから順調に各診察日の基準をクリアして、妊娠10週で不妊治療クリニックを卒業し、産婦人科に移りました。
宝物です。
治療を通じて学んだこと
治療スタートから妊娠までにかかった期間は、2年半。振り返ると長かったなと思うものの、転院先での初診からはちょうど1年くらい。どのタイミングでいい卵子が採れるかはわからないこともあるので、特に高齢の場合、ある程度は腰をすえることも必要だな、と感じています。そして高齢で授かるのは簡単なことではないんだな、30代前半に妊活すれば違ったのかな…、とも。
また、妊活前は根性論のようなことばかり言っていた夫も、流産したときなどに「自分のせいでつらい思いをさせて申しわけない。もっと早く妊活をしていれば、流産率も低かったのかもしれない」というようなことを言うまでになりました。
こどもを授かるって当たり前ではない。そう実感できたのは、この長い期間があったからこそだと思います。



